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義母は明日も片づけ仕事が残つているので泊つて行くことになつた。
と、きよろりとした目つきに返つた徳次は、立ちはだかつたやうな恰好になりながら、房一の傍に停つて訊いた。
「ゆうべは不思議な夢をみたよ。君たちも知っている通り、大地震の翌年に僕は箱根へ湯治に行って宿屋で怪しいことに出逢ったが、ゆうべはそれと同じ夢をみた。場所も同じく、すべてがその通りであったが、ただ変っているのは――僕が思い切ってその便所の戸をあけると、中には人間の首が転がっていた。首は一つで、男の首であった。」
築地には四五本の木材が立てかけられて、玄関に通じる石畳の上には鉋屑が一杯に散らばつていた。その白いのや紅味がかつた真新しい木の色はふしぎな生気をこの家に与へていた。あの低い大きな屋根がぐつと身を起したやうにさへ見える。
徳次は、その云ひ慣れない「往診」といふ言葉を口の中で物をころがすときのやうに珍しげに云つて見た。何か特別な響きがあつた。その時、急に彼は房一が医者だといふことを思ひ出していた。
「玄関の手入れをどうしようかと云ふのですよ」
かうして、房一の帰郷開業はその生涯を劃する大きな変化でもあつたが、同時にあの古風な河原町の人達にとつても眼を瞠みはるやうな事件であつた。房一はめつたにない成功者として目された。地方の新聞には彼の苦学力行を賞讃する大きな記事が出た。
今、房一の顔に現れているのはさういふ怒気だつた。ただ、それは盛子に向けられているのでなしに、房一の内部に立ちはだかり、自ら押へつけしている、それから来る圧迫感だつた。――
「をかしいからとは何ごとだ。火事だといふから手伝ひに来たんぢやないか、そして溝に落ちたのが何がをかしいんだ」
「さうだ、鍵屋の法事へ行くんでね。さつきは、君にさう云ふのを忘れていたが――まあ、上りたまへ」
房一は感動した。あの一言で、何もかも身のまはりが今までとちがつたやうに感じられた。何か一つ微妙なものがこの世のどこかでひよつこりと生れかゝつているのだつた。まだ目には見えないその隠れた、だがすでに在ることだけは確かな存在が、それだけでこんなにまはりの物を変へてしまつたのだ。それはひよつこりとしている、同時に彼にも盛子にもつながりのある不思議な或る物だつた。彼は職業柄アルコール漬になつた月別の胎児はいやといふほど見て知つていた。が、今彼の感知しているものはそれとは似ても似つかないものだつた。それはむくむくして、今はぢつとしているが、やがて動き出さうとし、やがて手をひろげ、やがて彼の肩だの腕だのにすがりつかうとしている、温い、柔い、――
あの坊主は前からあんな頭をしていたのかしらん。――さう云へば、子供の時分いつしよに遊んでいるとき見たやうに思つた。――練吉はそんなことを考へていた。
徳次は房一が顔を洗ふ間傍に立つて眺めていた。それからふいに訊いた。
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