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と、無邪気に、呆あきれたやうに云つた。
今それを思ひ浮べたとき、房一はふいに一種の怒気を感じた。それは疾やましさのないはげしい敵意、何かしらぐつと相手を地面まで押しつぶしてしまひたいほどの、腹の底からこみ上げて来る得体のしれない力だつた。
第四章
このどこの誰とも判らない相手を満更知らぬでもないらしい様子を見せながら、房一は手早く書きこむと、
「別に惜しいほどのことではありませんよ」つづけて、ふいに調子を変へると、
地名も旅館の名もしばらく秘しておくが、わたしがかつてある温泉旅館に投宿した時、すこし書き物をするのであるから、なるべく静かな座敷を貸してくれというと、二階の奥まった座敷へ案内され、となりへは当分お客を入れないはずであるから、ここは確かに閑静であるという。なるほどそれは好都合であると喜んでいると、三、四日の後、町の挽ひき地物じもの屋やへ買物に立寄った時、偶然にあることを聞き出した。一月ほど以前、わたしの旅館には若い男女の劇薬心中があって、それは二階の何番の座敷であるということがわかった。
「さあて、帰るかな」
「さあ。どうぞ、どうぞ」
と、その稍落ちつきのない女らしい黒瞳くろめがちな眼を道平に向けた。
それがふしぎに思はれた。
徳次も笑顔になつていた。だが、それは甚だ不器用なもので、絶えず紅らんだり力んだりしながら、眩しげに房一を見たかと思ふと、又当惑したやうな顔になるのであつた。
「うん、うん。あ、さうだ、顔を一寸洗はなくちや」
真黒い顔の男が傍によつて訊いた。
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