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「昨日、君とこの奥さんがバスに乗るところを見かけたが、――」
電灯のない時代はもちろん、その設備が出来てからでも、地方の電灯は電力が十分でないと見えて、夜の風呂場などは濛々もうもうたる湯気に鎖とざされて、人の顔さえもよく見えないくらいである。まして電灯のない温泉場で、うす暗いランプの光をたよりに、夜ふけのふろなどに入っていると、山風の声、谷川の音、なんだか薄気味の悪いように感じられることもあった。今日でも地方の山奥の温泉場などへ行けば、こんなところがないでもないが、以前は東京近傍の温泉場も皆こんな有様であったのであるから、現在の繁華に比較して実に隔世の感に堪えない。したがって、昔から温泉場には怪談が多い。そのなかでやや異色のものを左に一つ紹介する。
「ふうん、それもよからう」
「あの人はつまりこんな風な人なんだわ。こんな風に――」
「さうですつてね」
房一は慌てて、診察にかゝつた。その後で彼は云つた。
と、横合から老父の道平が房一に寄り添つて来た。
疲労したあまり不機嫌になつた大石練吉は、手荒く疳性かんしやうに衣裳をくるくると巻きながらいつもよりも激しくその切れ目をぱちぱちさせて云つた。
「ねえ、御苦労なこつた」
房一はさつきから自然と聞いてはいたが、事は初耳だつた。
その一揃ひの紙衣裳を見て、道平はまじめに感心した。
「いや」と、喜作は相変らずきつぱりと、煩うるさがりもせず答へた。
「お松ですか?お松は半之丞の子を生んでから、……」
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