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    と、盛子は大げさに滑稽な顔をしてみせた。

    「さうです。農林学校の先生だとかをしていられると聞きましたが」

    間もなく房一は別れを告げ、庭前で又馬の前に立つて二三の話をし、相沢の家を立去つて行つた。相沢のやうな家を患家に持つことは、十軒もの小患家を得たに匹敵すると、ひそかに満足しながら。そして、今日のもてなし方から考へると、医者として十分好意を与へたにちがひない、といふことにも満足しながら。

    房一は白シャツを着た小柄な大工と並んで立ちながら、玄関を眺めて云つた。

    家の入口には二軒の百姓家が向い合って立っている。家の前庭はひろく砥石といしのように美しい。ダリヤや薔薇ばらが縁を飾っていて、舞台のように街道から築きあげられている。田舎には珍しいダリヤや薔薇だと思って眺めている人は、そこへこの家の娘が顔を出せばもう一度驚くにちがいない。グレートヘンである。評判の美人である。彼女は前庭の日なたで繭まゆをにながら、実際グレートヘンのように糸繰車を廻していることがある。そうかと思うと小舎ほどもある枯萱を「背負枠」で背負って山から帰って来ることもある。夜になると弟を連れて温泉へやって来る。すこやかな裸体。まるで希臘ギリシャの水瓶である。エマニュエル・ド・ファッリャをしてシャコンヌ舞曲を作らしめよ!

    「どうでした」

    と訊くと、遊び友達と河へ行つたといふ返事であつた。

    さう声に出してみた。そして犬の方をふりかへつた。犬は彼の方を信頼にみちた眼で見上げ、しなやかな尾を振つた。

    房一はすかさずさう口にすると、低く鹿爪しかつめらしいお辞儀をした。どうも、これでは少し固苦しいかな、と自分の声を自分で聞きながら。彼はいくらか汗ばんでいるやうな気がした。慌あわてないで、さう自分に云つた。

    「高間さん、ひとつ何とかして引上げさせて下さい。このまゝでは――」

    きよろりとした眼でしきりと家の中をのぞきこみながら、しばらくして

    言葉つきは叮重だつたし、云つたことも何ら不自然ではなかつた。だが、その挑いどむやうな強い眼の色と全身に滲み出た一種圧迫的な怒気とはその表面の叮重さを明かに裏切つていた。効果は覿面てきめんだつた。

    川沿ひに細長く続いている河原町の通りは、地勢のせいでゆるい下り勾配をなしていた。所々で屋並みが切れて、そこには茶畑があつたり、空樽が乾してあつたりするかと思ふと、次の空地にはどこの家で使つているのか判らないやうな大きな井戸がその円く肥つた腹のやうな焼物の縁をたゞあつけらかんと日に照されていたりした。

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